内田 樹「下流志向」
便乗タイトルだが、内容は結構目から鱗。「学ばない子どもたち・働かない若者」というサブタイトルから、最近の若者はダメだという説教臭い本だったらやだなーと思ったのだが・・・
特に、なるほどと思ったのは・・・「教育が商品となり、子供が教育の消費者として位置づけられてしまった事が学ばない子どもの一群をつくった」という主張。
本来教育とは、学んでいる最中はその価値がわからないものなのに、消費者としての親と子が、「いったい何の役に立つ教育をしてくれるんですか?価値がないものには代価(勉強すること)を払いませんよ」ということを学校に対して主張してしまった。
だから子供が「価値がない」と判断した授業(学ぶ前に価値があるかないか判断できるようなものは本来の学びではないのに)にたいしては代価を払わくていい(つまり、授業を聴かない)ということが容認されてしまったのだ。
これは商品のスペックや付加価値を判断した上で行動する買い物と同じだ。
しかも、消費者はできるだけ安く買おうとする。店員から安く買いたたくコツはその商品に興味がないようにふるまうこと。「おれはこんな役に立たないことには、一銭も払う気はねえぞ」という態度をあからさまに示すことだ。なぜ学級崩壊がこんなに起こっているのか、その謎が解けた気がした。これも昨今の市場原理主義がもたらした悪弊に他ならないだろう。だから著者は最近はやりの「シラバス」にも否定的。ここから・・・ここまでのサービスを提供します。教育とはやる前からそんなわかりきった事ではないだろう。
そのとおりだと思う。もうひとつ共感できたのは、自己責任論に対する視点だ。
昨今の風潮、「自己決定・自己責任論」・・・「個を確立し自分で決めて、自分で責任をとれ!」
その結果、バラバラにされた個がわけのわからないまま、自己決定で教育の場から逃走し、自己決定で就職もままならず、自己決定でニートになり、自己決定で負け組となる。
それに対し、自己責任をふりかざす勝ち組達(新自由主義を浸透させた小泉・安倍はどれも政治家一族だ)は自己決定、自己責任論をあおりながら、自分達はしっかりと守られており、リスクを背負うことは絶対にない。皮肉なのは、そんな小泉や安部が、ニートや2チャンネルに集うネット右翼などに大人気で、彼らは「個を確立し、自己決定し、自己で責任をとれ」という小泉・安倍のアジテーションに狂喜し、その言葉通り守ってくれる共同体もセーフティネットもないまま(自己決定で)社会の底辺に落ちていきリスクを一身に背負うことになった。(もちろん、ネット右翼やニートだけがリスクを背負っているわけではない)
もちろん新自由主義の政治家達には痛くも痒くもない。「自分で決めたことなんだから」
安倍の退陣と衆参両院の逆転現象で、市場原理主義一直線から、若干の揺り戻しが見られる。良いことだと思う。
世の中に競争はあるし、それは社会の活性化には不可欠だ。
しかし今の「自己責任論」は信用しないほうがよい。
「競争に負けたら、死んでください」彼らはそう言っている。
例えば渡部昇一というとんでもないやつはどこかの対談でマジでそう主張していた。
冗談ではない世の中なのだ。
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